山縣洋三さんを悼む

かつて企友会の会長を長いこと務められた山縣洋三さんが去る6月25日に、お住まいのある鎌倉でお亡くなりになりました。享年84、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に指定されたご病気で闘病中でした。心からの哀悼の意を表します。

思えば、山縣さんとは25年の長きにわたって親しくお付き合いをさせていただきました。私がバンクーバーに移住をしてきた1991年からほどなくして企友会の存在を知り、門を叩いたことがきっかけでした。当時山縣さんは企友会の会長をされていて、そのリーダーシップと素晴らしいお人柄にたちまち虜になってしまったことをよく覚えています。爾来25年、公私にわたって親しく接していただき、たくさんの思い出を残してくださいました。

ゴルフ場でご一緒の山縣さんと久保さん

山縣さんのお話をしようと思うと、まずは企友会のことが思い浮かびます。1980年代の半ばに、当時設立されて間のない企友会のアンディ九十九会長とリトンかおり副会長が山縣さんを訪ね、次の企友会の会長として腕を振るってほしいとお願いに上がったそうです。そのころ山縣さんは総合商社丸紅の支店長をされていました。すでに日系コミュニティの中で「この人あり」との評価の高かった証だろうと思われます。

1994年船上クリスマスパーティ

当時存在したグレーターバンクーバー移住者の会という団体から、起業を志す人たちを中心に立ち上げられた企友会。その生まれて間もない企友会の会長を引き受け、知名度を高め、活動のスタイルを定めて大いなる発展の礎を築いた祖が、まさに山縣さんであったと確信しています。
中でも1990年代の半ばに山縣会長の陣頭指揮のもと、企友会が企画・実施したビジネス・トレードフェアは忘れられない思い出です。格式のあるホテルの広い催しもの会場を借りて、そこに日系の旅行社や貿易会社、物品販売会社等々のビジネス法人や個人がブースを展開し、大勢のお客さんを迎えて賑やかなフェアを開催しました。当時の下荒地総領事も積極的に協力をしてくださり、また現在経団連の初の女性理事として活躍されている晴乃サキュリッチさんも企友会理事の一人として奮闘していました。山縣さんのことを思うと、そんな光景が昨日のことのように目に浮かんできます。

第3回トレードフェアのオープニング式典。向かって右が山縣さん

企友会日系ビジネスアワード表彰式にてトロフィーを渡す山縣さん

2006年功労賞を受賞された際のスピーチ

本当に、日系社会にはなくてはならない人でした。企友会のみならず、ICAS(環太平洋文化交流事業)の理事、日加商工会議所の創設メンバー、日加協会の理事等々多岐にわたるボランティア活動に力を注ぎ、日系コミュニティ‘の活性化や充実に大いに貢献されました。

食事会にて。2列目右から2番目

一方では無類のゴルフ愛好家でもあり、元気な足取りでゴルフ場を歩き回っておられました。また若い方々との交誼も豊かだったのですが、決して上からのお説教をするようなタイプではなく、一緒に考えてアドバイスをくださるような方でした。
今年の1月に鎌倉のご自宅を訪ねてお目にかかりました。ALSという病気は運動神経細胞が侵され、随意筋に脳からの指令が届きにくくなって筋肉も衰えていくという難病ですが、それを阻止し改善する方法はまだ見つかっていない病気です。1月にお会いした時には、体の動きに不自由さがあるもののお顔の色つやもよくお元気で、再会を約束してお暇したものでしたが、それからわずか半年足らずでこんなお別れをするなんて、いまだに信じられない思いです。奥様の桂子さんが気落ちされている様子が目に浮かび、それがとても辛いのですが、早くお元気になっていただきたいと願うばかりです。

大切な方が稀有な難病に罹患し、かくも早く逝ってしまったことに不条理さえ感じます。心からご冥福をお祈りいたします。

2018年8月1日
元企友会会長 久保克己

2019-03-12T01:39:10-07:00