世界の縮図のような街で育つということ

バンクーバーで言語教育系スタートアップを立ち上げ、2年半が経とうとしています。

2年半といえば、いわゆる企業の駐在員であれば、そろそろ帰国を視野に入れ始めるくらいの頃かとも思います。ということは、2年半−3年間という期間は何かを為し得て、持って帰るべく成果を積み上げるのに十分な期間だということ?と自分が辿ってきた道を振り返ってみて、いやいや、まだまだ、とかぶりを振りながらも、はたと我が子の成長に目を向けると、頷かざるを得ないのです。この2年半が彼らの人生に与えた影響は計り知れず、この点だけにおいても、日本を出てカナダで起業をするという自身の決断に間違いはなかった、とも思えています。

私の娘二人は、公立のSecondaryとElementary、日本で言う高校3年生と小学校6年生に在籍していますが、明からに、少なくとも自分や子供達自身が日本では経験してこなかったことを最近の出来事から少しだけ紹介してみます。

カナダでは10月に連邦議会選挙が行われ、町中に議員候補の名前を知らせる看板が立ちました。選挙権のない私は特に関心を持たず、たまに耳に入る彼らのマニフェストを聞き流していた程度だったのですが、ある日、小学校6年生の娘の「今日ね、学校でね。」のいつもの報告に驚愕しました。なんと、クラスの全員で選挙区の議員立候補者全員が持つビジョン、彼らが社会に対して約束していることなどを調べ、一人一人が納得する候補者へ模擬投票をしたのだ、とのこと。単純な一つの出来事ではありますが、こういう草の根の取り組みが、若者を政治や選挙に自身の問題として自然に向き合わせ、民主主義を真の民主主義として機能する社会を作るのではないかな、と感心するとともに、明らかに政治から興味を失っている(過去の自分も含め)日本の若者たちに想いを馳せる機会となりました。ざっくり調べてみると、公式にデータが出ている2015年のカナダ連邦議会選挙投票率(前回のもの)は全体で68.3 %。18歳から24歳までの年齢層での投票率は57.1 %。単純に比較できるものではありませんが、日本の平成26年の衆議院総選挙の20代の投票率が、32.58 %(全体で52.66 %)であったことを考えると、その差は明らかです。

政治とはやや異なる話題ともなりますが、9月に行われた環境問題を啓蒙するデモには若者を中心に10万を超える人が集結し、バンクーバーの各地を埋め尽くしました。デモが予定されていた日は平日の金曜日だったのですが、これに対し、保護者は学校から通知を受け取りました。「バンクーバー教育委員会としても、デモの趣旨は尊重されるべきものと理解し、生徒に参加の意思があり保護者がそれを認める場合において、欠席扱いとしない。」というものです。

そもそも、Secondaryに進級してしまえば、生徒は自分の進路を見据えながら取るべき授業を選択し、単位を積み上げていきます。グレード(成績)の評価基準も、いわゆる試験の配点は半分以下であり、授業への参加姿勢(出席ではない)、レポートなどで高い評価を受けない限り、良い成績とはなりません。真面目に物事を暗記し、授業にただ出席していても、思考を停止し、受け身でいては評価に値しません。この傾向は、当然高等教育(大学)においてより発展していき、これが北米の大学を卒業するには大変な勉強をしなければいけない、と言われる所以です。

少ない事例をもとに、何も結論づけることはできませんが、総じてこちらの公教育は自分で考える人間を育てているな、と感じています。子供達の主張する意見や物事の見方にかつての自分との違いを見ることも多くなっています。多様な文化が共存し、世界の縮図のようなこのバンクーバーで成長する日系の子供達の将来をとても楽しみにしています。

企友会理事 ホール 奈穂子

2019-11-03T21:09:58-08:00