Column

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食卓の上の地球環境。

2019-06-10T01:51:32-07:00

ここ最近色んなところで目にする "Beyond Burger" "Beyond Meat" の文字。いつも行くスーパーにまでもう進出してて、これまでのベジタリアンパテと何か違うの?と興味はあるが、食べたいとはまだ思わない。家族はさっそく食べてみたようですが、なんともイマイチとのこと(個人の好みなのであくまでも我が家の話)。 で、Beyond Meatをネットでみると「よりお肉の味に近づけたベジタリアンパテ」なのかな?と言う理解。そうか、お肉は控えたいけどお肉の味は恋しい、なんとも複雑な感じです。そのうち牛肉100%はとても高価な食材となるのでしょうか、それとも汚らわしいものとなるのでしょうか。どちらにしても食卓のお肉の環境に変化が起きているのは間違いないようです。 ただ単に個人の食の志向というところから、今は地球環境のためにも肉食について意識する人が俄然増えてきているのだなと思う。地球温暖化を信じないと言う方がいらっしゃるお肉大国のアメリカから意識高めのカナダまで。我が家もそんな牛のゲップについて考える。お肉の消費はめっきり減ってきた(あっ、それは歳のせいかも)。牛肉の他にもお野菜もできるだけ地元のもので地産地消。安心だからというだけじゃなくて、流通の過程で発生する温室効果ガスが減らせるかな?とか、卵も放し飼いのものを選ぶようにしている(これは環境ではなくてケージの卵は残酷なので)。 そんな風に、何が正しい選択かどうかはまだまだ学ぶ必要があるけど、意識はしている。 幸いなのか今の所は歳とともに自然とお肉欲はうんと減って、代わりに素材や出汁の味がきいたものが食べたいと思うことが多いので、自然とお野菜中心の食事になっている。日本食万歳。 個人的には Tamaさんで買う肉厚でジューシーなしいたけをゴロリ丸ごとで作る "Shiitake Burger" の方がお肉風バーガーより断然美味しいと思う。 企友会理事 美香スミス

食卓の上の地球環境。2019-06-10T01:51:32-07:00

研究テーマ:ケータリング企業を革新する方法について。

2019-05-06T11:14:07-07:00

現代のケータリングの革新は、新しいアイデア、手段と方法を使うことを必要とします。 イノベーションの目的は、市場に応えること、顧客のニーズを満たすこと、そして最終的にはより良い社会的および経済的利益を得ることです。 意図した目的を達成するために独自の製品を開発したい場合は、革新的なケータリングの基本原則を把握する必要があります。 01 文化的テーマを強調する 今日ケータリングの文化はビジネスのあらゆる面に浸透しており、レストランのデザインのレイアウトや装飾から料理の色、香り、味、形、道具まで組み合わせがあります。 ケータリングのイノベーションの過程において、私たちは常に文化的特質の促進をビジネスの主な方向性と見なし、より健康で文化的なテーマを作り出​​し、ケータリング事業のための新しいアイデアを切り開くべきです。 古くから日本食はその美しいスタイルと文化的特質で知られてきました。 色、香り、味の統一により人々の食欲が増進され、人々が視覚的な審美的な楽しみを享受することから、ケータリング事業と革新は「食物」の基礎から切り離せません。 和食器の美しさと食べ物との調和は、日本の伝統的なフードアートの重要な部分であり、またケータリング事業の重要な部分となっています。 ケータリング用品の美しさ、質感の美しさ、色の美しさおよびパターンの美しさは、ケータリング器具の全体的な美しさに大きな影響を及ぼし、互いにブレンドされ新しい領域に到達します。 食環境は日本の食文化の審美的において重要な一面であり、良い食事環境は食の味を向上させることができます。全体の美しさを見せる方法、適切な食事環境をどのように配置し選択するか、レストランに季節毎の植物を配置する方法およびにランプなどのセットアップ方法は、現代のケータリング作業で研究されるべきポイントです。 ケータリングビジネスのイノベーションは、昔から時代の発展とともに人々の審美的な趣味やニーズの変化に応じて大きな変化を遂げてきました。 ケータリングのあらゆる側面に文化がしっかりと浸透またはケータリングビジネスが常に文化の主要テーマを中心に展開している限り、それは人々の心をつかみ消費者を引き付けます。 02 ビジネスプロジェクトを拡大する ケータリング製品の革新において、ケータリング市場の変化の研究や新しいビジネスコンセプトの確立、ビジネス方針の変更、新しいアイデアをあえて開拓することが求められます。 一部の企業がブランドや企業文化の影響を十分に発揮する場合は、企業の可能性を深め多様な事業の発展方向を探ることになります。 レストランのケータリングは元の現状に限定されるべきではなく、料理の風味を高め、専門性や新しいテーマを開発することが肝心です。 要するに私たちは伝統的なビジネスコンセプトと思考様式の束縛を乗り越え、市場の開発ニーズに従うことが求められます。 ケータリング事業は伝統的なモデルを打ち破ることを求められます。私たちは娯楽、知識、健康、栄養、情報を組み合わせ、食品を複数の文化的な形に統合する新しいサービスコンセプトを作成します。またケータリングのビジネスレベルの向上、文化的なコンテンツを増やすこと、レストランの特別なアイテムを増やすだけでなく、ユニークな食事の雰囲気を作り出し、ケータリングの消費レベルを向上させるレストランの社会的影響と利益の拡大をもたらします。 03 対象顧客に適応する 市場の細分化が進むにつれ、ビジネスイノベーションのためのケータリングも狭い市場レベルに注目するようになり、独自のテーマを持ったレストランが絶えず出現します。

研究テーマ:ケータリング企業を革新する方法について。2019-05-06T11:14:07-07:00

今年のジャパンフェアは…

2019-03-16T19:49:23-07:00

愈々、今年も Sakura Days ジャパンフェア (SDJF) が近づいてきました。 今年は、4月13日(土)、14日(日)の二日間に亘って開催されます。日本の食べ物、日本のパフォーマンス、日本のビジネス、日本の文化を見て、そして体験していただけるファミリーイベントです。 SDJFは、2009年より、六つの日系ビジネス団体が一つに成って、VanDusen Botanical Garden、在バンクーバー日本国総領事館の協力を得て、Vancouver Cherry Blossom Festival との共催で始まり、今年で10回目の開催となります。 フードや販売/非販売の参加ベンダーの数は、50を超え、パフォーマグループは40グループに近づきつつあります。来場者もここ数年10,000人近づく大きなイベントなりました。  今年は、10周年記念として、Sakura Days ジャパンフェア音頭 (SDJF音頭)を作成しました。4月13日(土)の夕刻に、お披露目のSDJF音頭パレードを行います。 また、10周年を記念して、10周年ロゴ入り『うちわ』を作成し、ご来場の皆様が自由にデザインし、お持ち帰り戴けるようにしました。  10周年記念スタンプラリーも実施します。10か所のクイズを楽しめるスタンプステーションを用意し、多くのお子様のご参加をお待ちしております。 日本からのパフォーマによるパフォーマンスも豊富で、津軽三味線、和太鼓、アコーディオン演奏、太神楽など、魅力のあるプログラムとなっています。   Sakura Days ジャパンフェアの運営は全てボランティアで行っています。毎年200人を超えるボランティアの協力を得ています。 その多くは日本に興味を持ち、親しみを持って頂いている人達で、ボランティアの力なくしては開催できないイベントです。 今年は10回目となるわけですが、延べ2,000人を超えるボランティアの協力を得て、『日本』をこの地に伝え続けることができました。そして、それが日本とカナダの絆を強める一助になったと信じています。

今年のジャパンフェアは…2019-03-16T19:49:23-07:00

旅行のお守り

2019-03-14T13:07:17-07:00

今年も早いもので、気がつけばもう3月に突入しておりました。 ついこの前に年次総会を開催したのに、、年々月日が過ぎるのが早く感じるようになりました。 2月にメキシコのリビエラ・マヤへ家族で行ってきました。カンクンとは異なり、一つ一つのホテルが大きく、滞在中はホテル内で過ごすのが楽で良いのですが、食事・アルコールなど全て含まれているのがまた休暇気分を感じさせてくれます。 今回は家族4人で、子供もいましたので医療保険を掛けていったのですが、帰りの空港で何だかバンクーバー行きの列だけ、なかなか進まないなと思っているとバンクーバーが大雪の為、フライトキャンセルとの大事件。 カウンターに呼ばれると、2日後の経由フライトか、3日後の直行フライトの代案でしたが仕事もありどうにか他の便がないかと尋ね、丁度この航空会社がトロント便に空席があり変更となったのですが、、同日には帰れず、またトロントからバンクーバーは実費ですよとの事。このとき、医療保険以外も掛けていればと後悔しながらも、ホテルと、航空券を手配しトロントへ向けて出発。 何とか翌日バンクーバーへ到着し、保険を掛けとけば良かったねと妻と話しながら、自分のクレジットカードに旅行保険が付いていることが発覚!直ぐに電話しクレームは出来ますと言われ、現在クレーム中。何とか保険が下りる事を祈って! 最近は災害も多く、より保険の必要性を感じているところです。 【旅行のお守り】として保険は忘れずに。。。 企友会理事 高岡利和

旅行のお守り2019-03-14T13:07:17-07:00

平成時代を振り返り、これから世界はどうなるの?

2019-03-16T21:26:24-07:00

今年は平成最後の年になり、この30年を振り返ってみますと、 平成時代は20世紀から21世紀への橋渡しの時代であり、人類の政治、経済、イデオロギーの大転換期でもありました。NHK制作の“映像の世紀”なんかを見ると20世紀はまさに戦争の時代で、産業革命を経て資本主義による飛躍的な経済発展の時代であったわけですが、それに続く平成時代の始まりには、東西冷戦の終結に始まりヨーロッパが統合され、世界中であらゆる規制緩和が行われ資本主義がどんどん進行し、さらにはコンピュータの発達による情報革命が起こり、ひと・もの・かねが自由にしかも迅速に行き来するグローバル社会の始まりでありました。 ところが21世紀に入り、アメリカ同時テロ事件が発生し世界中で治安が不安定になりました。経済ではリーマン・ショックによる世界経済の停滞が始まり、中東諸国の民族紛争や国際テロそして大規模な難民移動が起ったことにより、EUのイデオロギーがぐらつき、ついにイギリスがEUから離脱し、EU各国でも自由貿易による格差拡大から保護主義が台頭しています。アメリカにおいてもグローバル化された自由貿易による格差拡大で、白人中間層の不公平感がポピュリズムを促しトランプ大統領に代表されるような自国中心主義(反グローバル主義)が台頭しています。 一方アジアに目を向けても、グローバル化により中国やインドが大きく経済発展し、世界の政治・経済に大きな影響力を行使しています。特に中国は一帯一路構想で世界経済の主導権を握ろうとする覇権主義でアメリカとの貿易戦争が始まっています。日本では、デフレから脱却できず経済成長が低迷したまま、少子高齢化社会が始まり税収減による医療・介護・年金問題を抱え、働き盛りの若年層の将来不安が広まっています。 このように平成時代(1990年~2019年)では、世界はグローバル化が進展したことにより経済が大きく発展してきた一方で、国家や個人の格差拡大、民族紛争、国際的なテロ活動、難民の大移動さらにはイデオロギーの対立、衝突があり、まさに混迷で未来が見えない世界に我々は生きているわけです。 ・アメリカ中心の資本主義経済は限界なのか、格差社会はどうなるのか? ・民主主義(自由、平等、人権)は永遠の夢なのか? ・私たち人類はこれからどこに向かっていくのか? こんな疑問がわいてきた時、昨年世界のベストセラーと言われた本”サピエンス全史“(著者 ユバル・ノア・ハラリ)に出会いました。NHK番組のクローズアップ現代でも放送され注目を浴びた本です。 内容は、人類(ホモサピエンス)の石器時代から現代21世紀までの人類史を振り返り、今までとは全く違った視野・観点で人類の行動・能力・文化を分析して、現代社会の抱える課題、矛盾を明らかにし、21世紀以降の”人類の幸福とは何か、幸福を何に求めるのか”といったものすごい大きなテーマを提起した本であります。 これからの世界について作者は、 ・『世界を支配してきた西洋文明のキーワードは“近代科学”と“資本主義”の発展である。 ・それは、“未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく次の道の世界をめざす”という共通した考え方ある。 ・“近代科学”は、さらなるコンピュータの進歩によるロボットや人工知能の登場そしてバイオテクノロジーの進化は目覚ましいものがあり、世界を大きく変える可能性がある。 ・そして、人類はどんな未来を過ごしたいのか、しっかりとビジョンを持ち、幸せな道を進む賢い選択をする。そのためには、科学と政治は、もっと協力し合わなければないない。 ・“資本主義”はそれに代わる新たな仕組みが必要になるかもしれない。』 最後に『未来を切り開く鍵は、私たち人間が欲望をコントロールできるかどうか』と説いている。 まだ読んでおられない方に是非読んでいただきたい本です。 今年も世界は政治・経済・イデオロギーの対立、衝突が続くでしょう。 歴史を振り返り、この本から垣間見た人類の未来の姿を一考するのもいいかもしれません。

平成時代を振り返り、これから世界はどうなるの?2019-03-16T21:26:24-07:00

アルデンテなネット社会に

2019-03-14T22:59:33-07:00

2018年の漢字は「災」と発表された。 台風、豪雨、地震と日本列島は相次ぐ自然災害に見舞われた。 海外に住む私たちもその一報をニュースで知るたびに心を痛め、 友人や家族の安否に不安を募られた一年だった。 多くの日本人は地震大国ということもあり、 普段から自然災害に備えてはいるが、 初めて体験する甚大な災害の前に, 個々、自治体、国が更なる「防災」の必要性を感じ、 その対策に取り組むこととなるだろう。 一方、ここ数年SNSの進化と普及で発生する ネット上での災いに対しては 防災対策が追い付いていないのが現状だ。 個人レベルで世界に物事を発信できるようになった。 コミュニケーションが容易となったがために、 「差別」「偏見」「誤解を招く表現」を安易にさらけ出してしまい、 友人や世間からバッシングを受ける「炎上」が たびたびニュースを賑わせる。 SNS以前は自分の意見を言うとき、 誰がそれを聞いているのか、どの立場から言うのかと、 慎重に言葉を選んでいたため、 たとえ意見の相違で軋轢が起きたとしても 当事者同士で解決できたのではないか。 言いたい相手がいるからこそ、 意見を言う覚悟があり、 理解してもらおうとする努力が存在した。 この容易なSNSツールで炎上してしまった人々は、 突き詰められれば「そんなつもりではなかった」と釈明する。 そこに一本筋の通った、 芯のある「意見」や「覚悟」や「努力」がなかったからではないのか。

アルデンテなネット社会に2019-03-14T22:59:33-07:00

鈍い刀

2019-03-14T23:07:13-07:00

よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず ー 徒然草の第二百二十九段である。 驚くなかれ、これが全文である。あまり切れすぎる刀では美しいものは作れない、ということを言いたかったのではなかったはずである。短いが多くの解釈があるようだ。 短いが非常に耳に痛い文章である。我々の一般生活のコンテクストに置き換えてみる。彼は非常に物知りで頭が良い。あるいは、彼は鋭いビジネスの知識、センスを持っている。その知識、その見えすぎる眼をいかに御したらいいか。 おそらく多くの人はその鋭い知識、センスに頼りきり、あるいはひけらかすのみで、御することを考えていないのではなかろうか。 「切れる人」を目指しているうちはまだまだである。「何事も入り立たぬさましたるぞよき(同、第七十九段)」ではなかろうか。そのような人間に一度出会ってみたい。 企友会理事 真野展成

鈍い刀2019-03-14T23:07:13-07:00

15年目に思うこと。

2019-03-14T23:12:49-07:00

私ごとになりますが、1995年からカナダで生活するようになり今年の11月で23年になります。23歳でカナダに来ましたので、日本で生まれ育った年月と同じ年月をカナダで過ごしたと思うと感慨深いものがあります。 私がカナダで従事した仕事ですが、当然ですが23年前とだいぶ様変わりしております。旅行業で言いますと日本からバンクーバー、ウィスラーへ訪れる旅行客は、年末年始ですと日に数百人単位でバンクーバー、ウィスラーに来ることはなくなりました。 インターネットで現地情報を調べることが出来るようになり、より自分の旅行をイメージしやすくなり事前に詳細な情報を得た個人客の方が殆どです。 モーターサイクル業界は、バンクーバー周辺で冬にまずモーターサイクルを見ることは無く、春から秋にかけてのシーズン中でもあまり見かける事はありませんでしたが、最近は小型車両から大型車両までだいぶ見かけるようになりました。 大型車両に乗る方はどちらかと言うと趣味で乗る方が多いですが、小型車両は実用的に乗る方が増えたのが理由です。 どの業界、業種においてもですが、時代の変化や流れは時にゆったり、時に急激にと様変わりしていきます。変化や流れに取り残されたり、流されないようにしっかり土台を築きつつ先を見据えていかなければいけないでしょう。 カナダで起業しビジネスを始めてからおかげさまで15年が経ちました。この15年を振り返りつつ一区切りとして、15年後、30年後さらにその先へとより具体的なビジョンを持ちつつ、ビジネス環境や時代に沿って柔軟に適応していかなくてはと改めて思います。 企友会理事 金谷泰政

15年目に思うこと。2019-03-14T23:12:49-07:00

古いものと新しいものが混ざる場

2019-03-14T23:15:18-07:00

先日張り替えをお願いしていたラウンジチェアを受け取りに行ってきました。 この椅子は生前義父が愛用していたアームチェアで、肘掛の部分が少しすり減っているのですが、座り心地はとても良く、腰をかけると昔の義家族の家にタイムトリップをしたような不思議な気持ちになります。わたしは古いものと新しいものの混在する場所が好きでたまりません。台所でも居間でも。誰かが大事に良く使い古した道具と最新の技術のつまったかしこい道具やピカピカの新しいものが一緒に合わさることで、昔と今や誰かと自分の生活がつながってその両方が良い具合に生かされるようで、何か別の味や心地や知恵がそこに生まれるような気がします。 以前にテレビで建築家の大島芳彦さんの話を見ました。最近よく耳にするヴィンテージマンションだったり中古の戸建て物件を味わいのある今風なデザインにリノベーションするというのもそうですが、わたしが興味を持ったのが「団地のリノベーション」。大島さんが手がけるリノベーションが、ただその団地という不動産の箱物を新しく美しくすると言うだけのものではなく、その団地のある街そのものを巻き込んで再生するというもの。古いものと新しいものが持つそれぞれの価値が一緒になることで新たな価値を持ったコミュニティが生まれ、場所が再生されていました。面白いなあと思って大島さんを調べていると、他にも古い雑居ビルがクリエーターが育つ複合施設になったり、昭和のアパートメントの風化を活かしたリノベーションだったり、ワクワクするものばかり。 この大島さんのことを知る前のこと、日本では中古の不動産物件の売買についての考え方や価値がバンクーバーとは違うよねと言う話をちょうどしていて、その時「どうして日本ではアパートメントを売り買いしないの?コンドを買うより手頃だろうに」って聞かれたのですが、そもそもわたしの中ではアパートって聞くと賃貸前提だし、まさかあのプレハブのようなアパートの小さな部屋を購入するという考えがあるなんて思いもしなかったので返事に困りました。だから大島さんのこのアパートメントのリノベーションの話を知った時、ああこれだったらいつか日本でもアパートメントの売買ってありえるのかしら、なんて思ったりしました。 ちょうど今企友会でもバンクーバーでの日系ビジネスの、これまで築き上げて来た世代と今・これからの新しい世代に起こるであろう変化のことや、将来の日系ビジネスのコミュニティの話をすることがよくあります。こういった日本の話を聞くと、これまでのものと新しいものがお互いの価値を活かし合えばバンクーバーでだって新たな日系ビジネスコミュニティの価値が案外うまい具合に生まれるのかしらって想像したりしています。 企友会理事 美香スミス

古いものと新しいものが混ざる場2019-03-14T23:15:18-07:00

山縣洋三さんを悼む

2019-03-12T01:39:10-07:00

かつて企友会の会長を長いこと務められた山縣洋三さんが去る6月25日に、お住まいのある鎌倉でお亡くなりになりました。享年84、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に指定されたご病気で闘病中でした。心からの哀悼の意を表します。 思えば、山縣さんとは25年の長きにわたって親しくお付き合いをさせていただきました。私がバンクーバーに移住をしてきた1991年からほどなくして企友会の存在を知り、門を叩いたことがきっかけでした。当時山縣さんは企友会の会長をされていて、そのリーダーシップと素晴らしいお人柄にたちまち虜になってしまったことをよく覚えています。爾来25年、公私にわたって親しく接していただき、たくさんの思い出を残してくださいました。 ゴルフ場でご一緒の山縣さんと久保さん 山縣さんのお話をしようと思うと、まずは企友会のことが思い浮かびます。1980年代の半ばに、当時設立されて間のない企友会のアンディ九十九会長とリトンかおり副会長が山縣さんを訪ね、次の企友会の会長として腕を振るってほしいとお願いに上がったそうです。そのころ山縣さんは総合商社丸紅の支店長をされていました。すでに日系コミュニティの中で「この人あり」との評価の高かった証だろうと思われます。 1994年船上クリスマスパーティ 当時存在したグレーターバンクーバー移住者の会という団体から、起業を志す人たちを中心に立ち上げられた企友会。その生まれて間もない企友会の会長を引き受け、知名度を高め、活動のスタイルを定めて大いなる発展の礎を築いた祖が、まさに山縣さんであったと確信しています。 中でも1990年代の半ばに山縣会長の陣頭指揮のもと、企友会が企画・実施したビジネス・トレードフェアは忘れられない思い出です。格式のあるホテルの広い催しもの会場を借りて、そこに日系の旅行社や貿易会社、物品販売会社等々のビジネス法人や個人がブースを展開し、大勢のお客さんを迎えて賑やかなフェアを開催しました。当時の下荒地総領事も積極的に協力をしてくださり、また現在経団連の初の女性理事として活躍されている晴乃サキュリッチさんも企友会理事の一人として奮闘していました。山縣さんのことを思うと、そんな光景が昨日のことのように目に浮かんできます。 第3回トレードフェアのオープニング式典。向かって右が山縣さん 企友会日系ビジネスアワード表彰式にてトロフィーを渡す山縣さん 2006年功労賞を受賞された際のスピーチ 本当に、日系社会にはなくてはならない人でした。企友会のみならず、ICAS(環太平洋文化交流事業)の理事、日加商工会議所の創設メンバー、日加協会の理事等々多岐にわたるボランティア活動に力を注ぎ、日系コミュニティ‘の活性化や充実に大いに貢献されました。 食事会にて。2列目右から2番目 一方では無類のゴルフ愛好家でもあり、元気な足取りでゴルフ場を歩き回っておられました。また若い方々との交誼も豊かだったのですが、決して上からのお説教をするようなタイプではなく、一緒に考えてアドバイスをくださるような方でした。 今年の1月に鎌倉のご自宅を訪ねてお目にかかりました。ALSという病気は運動神経細胞が侵され、随意筋に脳からの指令が届きにくくなって筋肉も衰えていくという難病ですが、それを阻止し改善する方法はまだ見つかっていない病気です。1月にお会いした時には、体の動きに不自由さがあるもののお顔の色つやもよくお元気で、再会を約束してお暇したものでしたが、それからわずか半年足らずでこんなお別れをするなんて、いまだに信じられない思いです。奥様の桂子さんが気落ちされている様子が目に浮かび、それがとても辛いのですが、早くお元気になっていただきたいと願うばかりです。

山縣洋三さんを悼む2019-03-12T01:39:10-07:00