Interview

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企友会です、インタビューさせてください Vol.6

2019-03-14T23:16:50-07:00

Guitarist 中島 有二郎 Profile: 指揮者 大森久雄氏、ジャズギタリスト 高島宏氏に師事。20代は東京を中心にジャズなどを演奏し、テレビ局の音楽制作にも参加。20代後半にブラジル音楽に強く影響を受ける。2005年にバンクーバーに移住後、地元のライブハウス、レストランなどで演奏。バンクーバージャズフェスティバルには自分のリーダーバンドで5回出演し、他の様々な音楽祭でも演奏を行う。日本総領事館が主催するコンサートにも出演し、カナダと日本の文化交流にも貢献。現在はギターとウクレレの講師としても活躍している。 ジャズを中心としたプロギタリストとして成功していた日本を離れ35歳でバンクーバーに移住。ソロギターフェスティバルでブラジルギタリスト代表に2年連続で選ばれ、Jazz Festival などの音楽イベントにも出演、多様な音楽ジャンルのバンドでのライブ演奏に加え、毎年の日本ツアーも行う。これだけの経歴が並ぶと必然的に緊張してしまうのだが、当日待ち合わせ場所となる天井の高い陽が良く差し込む明るいカフェに現れたのは、温かく気取らぬ雰囲気の中島さんでした。 原点にあるのは、枠のない音楽。 下村: さっそくですが、中島さんがギターを始めたきっかけは何ですか? 中島: 親がベートーベンの像も家にあるくらいのクラシックの愛好家で。でも僕はそれがいやだったんだけど(笑)。クラシックが家で流れてたから、当時の僕には友達が家に来たらベートンベンが流れてるってのが恥ずかしくって。だけど、もれて聞こえるクラシックが音楽に関わるきっかけかな。妹と兄貴はピアノをやっててクラシック系の音楽の方へ行ったんだけど、僕はどうしてもそれが嫌でピアノからも逃げてて、中学ではサッカーをしてたんですよ。中1の時に友達のお父さんに連れられて映画館でビートルズのフィルムコンサートを見て、本当に衝撃を受けて、次の日にレコードを買ってビートルズにはまって。そっから始まったって感じ、僕の音楽は。おこずかいは全部レコードを買うのに使って、ビートルズのレコードを全部集めてずっと聞いてた。高1の時にロックギターでバントをはじめたんだよね。こんな感じでロックから音楽に入ったね。僕にとってはビートルズが原点。あのバンドはロックだけじゃないミックスされたハイブリットされた音楽。音楽そのもだけじゃなくて考え方とかも、枠がない音楽が好きになったのもビートルズがきっかけかも。 下村: バンクーバーに来る前は何をされていたのですか? 中島: 日本で音楽活動やってたよ。音楽を教えたり演奏したり、ジャズとかブラジル音楽をしてた。 下村: たくさんの音楽ジャンルがある中でどうしてブラジリアンミュージックを選んだのですか? 中島: ジャンルは色々やるんだけど、はじめは

企友会です、インタビューさせてください Vol.62019-03-14T23:16:50-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー後編

2019-03-14T23:22:45-07:00

Maple Fun Tours Ltd. President ビル 別所 BUSINESS DATA: 戦後ベビーブーマー時代の団塊世代に東京で生まれる。両親は日本人だが、母親はカナダ生まれ20歳までカナダ育ち。息子には日本名の別所和雄とは別にカナダ名のWilliam Kazuo Besshoとも命名する。そんな母親のもと小学3年生の頃には中学英語を習得。東海大学理工学部通信工学卒業後、コンピューター関連の出力装置の販売保守の会社に就職。25歳の時にカナダへ移民。イギリスに本社を置くコンピューター関連会社に務める。その後、旅行関連会社に転職し、ガイド・手配・会計・予約などの部署で活躍され、1981年にMaple Fun Tours Ltd.を設立。カナダ3箇所(バンクーバー・バンフ・トロント)の事務所と日本4箇所(東京・大阪・福岡・札幌)に事務所展開している。2018年にはカナダ・モントリオールにも新事務所の設立を予定。 CITAP(Canadian Inbound Tourism Association - Asia Pacific)元会長としてもカナダのインバウンド業界を牽引。創立38年の今なお果敢に邁進を続けている。 ロングインタビュー後編は、ビル別所さんの生き方とその軸に持ち続ける願いとは。 一大事と申すは、今日只今の心なり。 正受老人の「一日暮らし」の教えで、憂うのは昨日でも明日でもなく、人生の中でもっとも大切なのは、今生かされている今日ただいまの自分の心。一日をよく暮らすことは、一生をよく暮らすことになる。

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー後編2019-03-14T23:22:45-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー前編

2019-03-14T23:24:00-07:00

Maple Fun Tours Ltd. President ビル 別所 BUSINESS DATA: 戦後ベビーブーマー時代の団塊世代に東京で生まれる。両親は日本人だが、母親はカナダ生まれ20歳までカナダ育ち。息子には日本名の別所和雄とは別にカナダ名のWilliam Kazuo Besshoとも命名する。そんな母親のもと小学3年生の頃には中学英語を習得。東海大学理工学部通信工学卒業後、コンピューター関連の出力装置の販売保守の会社に就職。25歳の時にカナダへ移民。イギリスに本社を置くコンピューター関連会社に務める。その後、旅行関連会社に転職し、ガイド・手配・会計・予約などの部署で活躍され、1981年にMaple Fun Tours Ltd.を設立。カナダ3箇所(バンクーバー・バンフ・トロント)の事務所と日本4箇所(東京・大阪・福岡・札幌)に事務所展開している。2018年にはカナダ・モントリオールにも新事務所の設立を予定。 CITAP(Canadian Inbound Tourism Association - Asia Pacific)元会長としてもカナダのインバウンド業界を牽引。創立38年の今なお果敢に邁進を続けている。 特別企画ロングインタビュー前編は、ビル別所さんを形作る礎、そして彼が全力で守り続けているものへと迫ってみます。 ライブ演奏と人々の楽しげな話し声が響く、モダンで華やかなホテルのロビー。ガラス張りの落ち着いたラウンジの一角で別所さんをお迎えして一息入れた瞬間、蛙が飛び込む音が聞こえてくるような不思議な静寂を味わいながら、今回のインタビューは始まりました。 一所懸命: もともとは、武士が先祖から受け継いだ土地を次の世代へ引き継ぐために、命をかけて守ったことに由来。今目の前に与えられた1つのことに全力で打ち込むこと。

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー前編2019-03-14T23:24:00-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.4

2019-03-14T23:26:31-07:00

Freedom 55 Financial Financial Security Advisor 澤田 泰代 BUSINESS DATA: 石川県金沢市生まれ。1996年、1年間の英語留学を経て、2000年に再渡加。2004年にSFU (Simon Fraser University) 経営管理学部を卒業後、旅行業等を経て2012年より現職であるFinancial Security Advisor職に就き、個人のリタイヤメントプランや保険のプランニング、法人のグループ保険のプランニングを行う。企友会への参加は2006年より。事務局、副会長などを経て現会長。また、Sakura Days Japan Fairでもコミッティーメンバーとして運営の中心を担う。 大きなガラス窓一面に広がるダウンタウンのビルとその向こうに見える山と青い空のなんとも開放的なオフィスで出迎えてくれたのは、健康的に日焼けした肌に、エレガントなワンピースがとても似合う澤田泰代さん。 やっぱり、「人」って大事じゃないですか。 十九川: 今のお仕事の前はどういったことをしていたんですか。 澤 田: 日本ではバブルが崩壊したころに短大を卒業して、野村證券に入ったんですよ。地元が石川県の金沢市なので、野村證券の金沢支店に一般職として勤めたのが最初です。そこで5年間ほど、一般の個人のお客様の対応をしたり、支店長の秘書を務めたりしていましたね。そのあと、カナダに一年間だけ語学留学にきて、それが1996年のことですね。1年間ESLの学校に通い、一旦日本に帰って東京のヘッドハンティングの会社で3年くらい働きました。なので、もともと金融で人の仕事をしていたのもあって、カナダに戻りSFU(サイモンフレーザー大学)のビジネスで、ヒューマンリソーシーズを専攻して卒業したのが2004年。そこからいくつか仕事をして、今の仕事を始めて5~6年という感じです。

企友会です、インタビューさせてください Vol.42019-03-14T23:26:31-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.3

2019-03-13T11:14:20-07:00

King George Nissan / Midway Mazda  Sales Manager ロビー 福島 BUSINESS DATA : 1991年に高校を卒業後、同年に渡米。1995年、Santa Ana Collegeを卒業後、イベントプロデュースをAvexレコード会社のDJ達とB-hallという名で立ち上げる。また、日系ナイトクラブのオーナーのオファーを受け、2店舗のGMとなる。1997年にカナダに移住し、98年 Richmoond Nissanに入社。5年連続販売店トップセールス、10年連続日産カナダAward of Excellence 優秀販売賞を受賞するなど、輝かしい実績を持つ。現在は Midway Mazuda,King George Nissan 両店舗のセールスマネージャーを担当。また、日系祭りのMCを務めるなど、仕事以外の分野でも活躍している。 White RockにあるKIng George NissanとMidway Mazda2店舗のセールスマネージャーである福島さんのもとには、次々と商談を抱えるスタッフが出入りし、なぜかワクワクさせられる。

企友会です、インタビューさせてください Vol.32019-03-13T11:14:20-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.2

2019-03-14T20:27:54-07:00

COCONAMA CHOCOLATE 千綿 孝智・浜本 香代子 BUSINESS DATA:千綿孝智ー1975年福岡生まれ。九州大学大学院卒業後、明治製菓(株)の研究所や工場で商品開発・食品技術者として10年間従事。よりお客様の近くでやりがいを感じる仕事をしたいと思い独立に至る。 浜本香代子ー1976年兵庫生まれ。京都大学大学院を卒業後、同じく明治製菓(株)の研究所や工場にて菓子製法の新技術開発・品質保証・商品開発、カカオ豆の基礎研究と製法開発に従事。また企業のコスト・調達戦略を専門とするコンサルティングファームにてシニアコンサルタントとしても従事。仕事でカカオ農園を訪れたことが人生の転機となる。 2010年9月に渡加し、同年12月にリッチモンドに La Chocolaterie をオープン。2012年に主力商品であるCoconama Chocolateに改名。2015年にはノースバンクーバーに店舗を移し、チョコレート製造販売、チョコレートワークショップなどを行っている。 夕暮れ時のノースバンクーバー、ココナマと書かれたドアを開けると、そこはチョコレートの香りが広がる工房兼店舗。白い上着を揃えで着た千綿孝智・浜本香代子夫妻が笑顔で迎えてくれました。 お店に入って目に飛び込んで来る美味しそうな色とりどりの生チョコの数々。 チョコレートとの出会い。 大山: まず単刀直入に、お2人の肩書きはパティシエ、ショコラティエどちらなのでしょうか? タカノリさん: どっちでもないと思っているんです。肩書きはあまり気にしていなくて、しいて言うなら「チョコレートエンジニア」「チョコレートサイエンティスト」かな。そういうとみんな笑ってくれるから。

企友会です、インタビューさせてください Vol.22019-03-14T20:27:54-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.1

2019-03-13T11:13:06-07:00

Blue Tree Management Ltd.  President 岡本 裕明 BUSINESS DATA:1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。現地法人社長を経て、2004年同社のバンクーバー不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在マリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、東京で住宅事業などを展開。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知られる。 「カナダ人をずっと超えてやるって思ってた」人生最大の決断と挑戦。 えりな: 岡本さんの事業買収までの経緯は? 岡 本: 青木建設の社長会長秘書から駐在員として来て不動産開発事業が半ばを過ぎたころ、親会社の突然の倒産をヤフーニュースで嫁から聞かされたのです。その時この先、どうしようか、日本へ帰るか決めなければいけませんでした。僕の実家は洋服店をやっているのですけど、建設会社で不動産事業をやっている男が、実家の女性向け洋服屋には向かないでしょう?それに当時、ダウンタウンではカナダ、香港と我々日本のデベロッパーがそれぞれ競合している中、僕は日本を代表してバンクーバーで頑張っていると信じ、ニッポンが脱落しちゃいけないと思い、テイクオーバーしようと決めたのです。その時、青木の債権者に相談したら1ヶ月で買収するか決めろと言われました。その間に買収金額を交渉して自力資金調達し、バンクーバーで事業を引き続きすることになりました。 えりな: 何がその時一番辛かったですか? 岡 本: この買収話は僕だけの話で他の人に相談できなかったので、一人ですべてをやらなきゃいけなかったのが辛かったですね。嫁にも話せなかった。本当に辛かった! えりな: 本当に行き詰まった時、岡本さんは何をしていますか? 岡 本: 寝る!ひたすら寝る えりな: バンクーバーで頑張ると決めた理由は? 岡 本: 僕は駐在員として来たので、バンクーバーを自分で選んで来たわけじゃないのです。当時若かったし、下手くそな英語の日本人という小馬鹿にされた目線で、ビジネスルールも何もわからない若造がと思われていて、すごく悔しかったのですよね。だからカナダ人を負かしてやろうと、カナダ人を超えてやるってずっと思っていました。だからカナダに残るという決断をしたのです。

企友会です、インタビューさせてください Vol.12019-03-13T11:13:06-07:00