Est. 1987-企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)

Monthly Archives: 8月 2018

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BBQ@ビーチを開催。

2019-03-12T00:35:48-07:00

山火事の煤煙で一時は開催が危ぶまれたBBQですが、無事に開催となり楽しい時間となりました。😃 ここからはボランティアから届いたレポートと写真でお楽しみくださいませ! ボランティアとして、今回初めて企友会の皆様の活動に参加させて頂きました。 短い時間ではありましたが、色々なお仕事をされている方々とお話をさせて頂き、とても有意義な時間を過ごせたと思っております。また、幸運にも、日本の大学での専攻に関連した職種の方とお話できる機会があり、バンクーバーに住んでいる者同士だからこそ共有できる情報を交換することもできました。普段はビジネスカレッジに通っているのですが、バンクーバーに比較的長い間暮らしていらっしゃる日本人の方々とお話できる機会というのは今までなかなか無かったので、今回のBBQはとても貴重な時間であり、私自身の刺激にもなりました。個人的には、残り半年の留学生活の中で何をするか、何をすれば良いのかなどを考えていた時期でもあったので、今回のBBQの参加者の皆様のお話を聞きながら、新しい方向性の発見もあり、自分の中で考えが少しずつまとまってきたように感じました。 もちろん、お肉もたくさん頂きました!とても美味しかったです。 まさかカナダでスイカ割りを見ることができるとは思っていなかったですが、夏の終わりに素敵な時間を過ごさせてもらいました。次回からの活動にも是非参加させて頂きたいです。 企友会ボランティア 杉山奈緒子

BBQ@ビーチを開催。2019-03-12T00:35:48-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.6

2019-03-14T23:16:50-07:00

Guitarist 中島 有二郎 Profile: 指揮者 大森久雄氏、ジャズギタリスト 高島宏氏に師事。20代は東京を中心にジャズなどを演奏し、テレビ局の音楽制作にも参加。20代後半にブラジル音楽に強く影響を受ける。2005年にバンクーバーに移住後、地元のライブハウス、レストランなどで演奏。バンクーバージャズフェスティバルには自分のリーダーバンドで5回出演し、他の様々な音楽祭でも演奏を行う。日本総領事館が主催するコンサートにも出演し、カナダと日本の文化交流にも貢献。現在はギターとウクレレの講師としても活躍している。 ジャズを中心としたプロギタリストとして成功していた日本を離れ35歳でバンクーバーに移住。ソロギターフェスティバルでブラジルギタリスト代表に2年連続で選ばれ、Jazz Festival などの音楽イベントにも出演、多様な音楽ジャンルのバンドでのライブ演奏に加え、毎年の日本ツアーも行う。これだけの経歴が並ぶと必然的に緊張してしまうのだが、当日待ち合わせ場所となる天井の高い陽が良く差し込む明るいカフェに現れたのは、温かく気取らぬ雰囲気の中島さんでした。 原点にあるのは、枠のない音楽。 下村: さっそくですが、中島さんがギターを始めたきっかけは何ですか? 中島: 親がベートーベンの像も家にあるくらいのクラシックの愛好家で。でも僕はそれがいやだったんだけど(笑)。クラシックが家で流れてたから、当時の僕には友達が家に来たらベートンベンが流れてるってのが恥ずかしくって。だけど、もれて聞こえるクラシックが音楽に関わるきっかけかな。妹と兄貴はピアノをやっててクラシック系の音楽の方へ行ったんだけど、僕はどうしてもそれが嫌でピアノからも逃げてて、中学ではサッカーをしてたんですよ。中1の時に友達のお父さんに連れられて映画館でビートルズのフィルムコンサートを見て、本当に衝撃を受けて、次の日にレコードを買ってビートルズにはまって。そっから始まったって感じ、僕の音楽は。おこずかいは全部レコードを買うのに使って、ビートルズのレコードを全部集めてずっと聞いてた。高1の時にロックギターでバントをはじめたんだよね。こんな感じでロックから音楽に入ったね。僕にとってはビートルズが原点。あのバンドはロックだけじゃないミックスされたハイブリットされた音楽。音楽そのもだけじゃなくて考え方とかも、枠がない音楽が好きになったのもビートルズがきっかけかも。 下村: バンクーバーに来る前は何をされていたのですか? 中島: 日本で音楽活動やってたよ。音楽を教えたり演奏したり、ジャズとかブラジル音楽をしてた。 下村: たくさんの音楽ジャンルがある中でどうしてブラジリアンミュージックを選んだのですか? 中島: ジャンルは色々やるんだけど、はじめは

企友会です、インタビューさせてください Vol.62019-03-14T23:16:50-07:00

企友会、日加商工会議所、懇話会、建友会、日加協会共催ゴルフトーナメントを開催。

2019-03-12T01:08:02-07:00

先月7月22日(日)企友会恒例のゴルフトーナメント⛳が開催されました。 本年は、例年共催している日加商工会議所に加え、懇話会、建友会、日加協会が加わり5団体共催のゴルフトーナメントとなりました。 当日は40人のプレーヤが参加し、10組に分かれてプレーしました。プレー前、プレー後の待ち時間にパットゲームを開催するなど、今年初めての試みもありました。 プレー終了後は、ゴルフプレーヤー全員40名と、ディナーだけの参加者5名の、総勢45名でのディナーを楽しみました。 トーナメント開催ゴルフ場(Meadow Gardens G.C.)独特の日本的なカレーも復活し、人気を集めていました。 食事終了後は、愈々賞品の抽選と結果発表です。 ディナーのみ参加の人達もいましたので、トーナメントの結果発表の前に、日本往復航空券(エアーカナダ提供)、カナックス観戦ペアチケット(ゴードン門田氏提供)、コーストコールハーバーホテルby APAの宿泊券(Coast Hotels提供)、VSO100周年記念コンサートペアチケット(長井氏提供)の抽選を行い、豪華な賞品に皆さんの一喜一憂の声(叫び?)が部屋中に飛び交いました。 その後、恒例のプロジェクターを使用したダブルぺリア方式プレゼンプログラムによるトーナメントの結果が発表されました。12の隠しホールを一つずつ入力する毎に順位が変動するプレゼンプログラムに、固唾を飲む一時でした。 総理大臣杯 高橋正史さん 総領事杯 塩入勝子さん 日加商工会議所杯 尾中和俊さん 企友会杯 高橋京佳さん 🚩トーナメントの結果は次の通りです。(敬称略) 優勝者(M)     高橋

企友会、日加商工会議所、懇話会、建友会、日加協会共催ゴルフトーナメントを開催。2019-03-12T01:08:02-07:00

山縣洋三さんを悼む

2019-03-12T01:39:10-07:00

かつて企友会の会長を長いこと務められた山縣洋三さんが去る6月25日に、お住まいのある鎌倉でお亡くなりになりました。享年84、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に指定されたご病気で闘病中でした。心からの哀悼の意を表します。 思えば、山縣さんとは25年の長きにわたって親しくお付き合いをさせていただきました。私がバンクーバーに移住をしてきた1991年からほどなくして企友会の存在を知り、門を叩いたことがきっかけでした。当時山縣さんは企友会の会長をされていて、そのリーダーシップと素晴らしいお人柄にたちまち虜になってしまったことをよく覚えています。爾来25年、公私にわたって親しく接していただき、たくさんの思い出を残してくださいました。 ゴルフ場でご一緒の山縣さんと久保さん 山縣さんのお話をしようと思うと、まずは企友会のことが思い浮かびます。1980年代の半ばに、当時設立されて間のない企友会のアンディ九十九会長とリトンかおり副会長が山縣さんを訪ね、次の企友会の会長として腕を振るってほしいとお願いに上がったそうです。そのころ山縣さんは総合商社丸紅の支店長をされていました。すでに日系コミュニティの中で「この人あり」との評価の高かった証だろうと思われます。 1994年船上クリスマスパーティ 当時存在したグレーターバンクーバー移住者の会という団体から、起業を志す人たちを中心に立ち上げられた企友会。その生まれて間もない企友会の会長を引き受け、知名度を高め、活動のスタイルを定めて大いなる発展の礎を築いた祖が、まさに山縣さんであったと確信しています。 中でも1990年代の半ばに山縣会長の陣頭指揮のもと、企友会が企画・実施したビジネス・トレードフェアは忘れられない思い出です。格式のあるホテルの広い催しもの会場を借りて、そこに日系の旅行社や貿易会社、物品販売会社等々のビジネス法人や個人がブースを展開し、大勢のお客さんを迎えて賑やかなフェアを開催しました。当時の下荒地総領事も積極的に協力をしてくださり、また現在経団連の初の女性理事として活躍されている晴乃サキュリッチさんも企友会理事の一人として奮闘していました。山縣さんのことを思うと、そんな光景が昨日のことのように目に浮かんできます。 第3回トレードフェアのオープニング式典。向かって右が山縣さん 企友会日系ビジネスアワード表彰式にてトロフィーを渡す山縣さん 2006年功労賞を受賞された際のスピーチ 本当に、日系社会にはなくてはならない人でした。企友会のみならず、ICAS(環太平洋文化交流事業)の理事、日加商工会議所の創設メンバー、日加協会の理事等々多岐にわたるボランティア活動に力を注ぎ、日系コミュニティ‘の活性化や充実に大いに貢献されました。 食事会にて。2列目右から2番目 一方では無類のゴルフ愛好家でもあり、元気な足取りでゴルフ場を歩き回っておられました。また若い方々との交誼も豊かだったのですが、決して上からのお説教をするようなタイプではなく、一緒に考えてアドバイスをくださるような方でした。 今年の1月に鎌倉のご自宅を訪ねてお目にかかりました。ALSという病気は運動神経細胞が侵され、随意筋に脳からの指令が届きにくくなって筋肉も衰えていくという難病ですが、それを阻止し改善する方法はまだ見つかっていない病気です。1月にお会いした時には、体の動きに不自由さがあるもののお顔の色つやもよくお元気で、再会を約束してお暇したものでしたが、それからわずか半年足らずでこんなお別れをするなんて、いまだに信じられない思いです。奥様の桂子さんが気落ちされている様子が目に浮かび、それがとても辛いのですが、早くお元気になっていただきたいと願うばかりです。

山縣洋三さんを悼む2019-03-12T01:39:10-07:00

ばんてら 3回目を開催。「中国、韓国コミョニティと何が違う?彼らの向かうところ、我々の向かうところ」

2019-03-14T23:18:23-07:00

"ばんてらー”のみなさまこんにちは。 先月7月18日に今年のばんてら折り返しとなる3回目が行われました。 今回のテーマは「中国、韓国コミョニティと何が違う?彼らの向かうところ、我々の向かうところ」。 3回目は、日本コミュニティでご活躍されながら、中国コミュニティのこともよくご存知でいらっしゃるテリー・ジンさんに進行🎤をお願いいたしました。 声を大にして言わせてください。このテーマを、日本人と日本人以外の視点を持つ人たちと話ができるのは、ばんてらの醍醐味です。 ところで個人的に、今回1番印象的だったのが「カナダで暮らすということは、カナダの文化に溶け込む・カナダの人となる傾向が日本人にはあるのかもしれない。」という話。郷に入れば郷に従えのような感じでなのでしょうか。 でもこれ、なぜそんなに印象的だったかと言うと、だってカナダと言えばやっぱりDiversityだったりMulticulturalismがそこらじゅうにあってそれが活きてるお国柄!色んな国の人や文化やコミュニティがその国柄をそのままにそれぞれの声や存在を発揮している中で、日本人・日本のコミュニティってたしかにその声や存在をがっつり活かしてる、と言う感じはないかもって。そう思いません? いやね、それが良いとか悪いとかではなく、日本は古くからずっと、郷に従いながらも日本ならではのオリジナルを生み出すのが得意であるように、カナダでも日本人ならではのオリジナルが活きているといいなと思ったりしました。 さてー、ではでは、ばんてらでどんな話がされたのか、潜入レポートいってみましょう 第3回「ばんてら」が7月18日に開催されました。今回のテーマは「中国、韓国コミュニティと何が違う?彼らの向かうところ、我々の向かうところ」と題し、テリージンさんの司会進行で活発な意見交換が行われました。 初めに、様々な統計資料からメトロバンクーバーにおける各コミュニティを構成する日本人及び中国人や韓国人の人口動態(移民者数、在住者数)を見つめると、過去5年間のカナダ全体の移民数は中国人が約13万人、韓国人が約2万人、日本人が5千人。そして最近の在住者はメトロバンクーバーの人口が約250万人の内、中国人が約43万人、韓国人が約5~7万人、日本人が約3万人となっている。これらの数字から中国人や韓国人は日本人と比べて相当多くの人が移民し在住していることがうかがえ、彼らのコミュニティの規模や存在感の大きさをあらためて認識しました。 韓国人在住者はもっと多いと思ってたー! だってあんなに大きなスーパーがあちこちにあるんだもーん! 次に夫々のコミュニティについて活動内容や違いを様々な角度から意見交換し、我々日本人コミュニティの課題や向かうところを明らかにしようと話しあいました。 本文

ばんてら 3回目を開催。「中国、韓国コミョニティと何が違う?彼らの向かうところ、我々の向かうところ」2019-03-14T23:18:23-07:00