ARA Professional Travel & Support Inc.   President

荒木 大輔

Kiyukai Interview Yujiro Nakajima
BUSINESS DATA: ARA Professional Travel & Support Inc. 代表取締役社長 荒木大輔氏。1971年埼玉県出身。専修大学法学部卒業後、1994年ワーキングホリデーで渡加。Fairmont Chateau Lake Louise内のギフトショップで働いた後、1996年Maple Fun Tours・バンフ支店の日本語ガイドに転職。1999年には法人セールスとして名古屋支社へ異動。中部・北陸地区の旅行代理店とのコネクションを作るなど9年間の経験を積んだのち、2008年4月バンクーバー本社へ。セクションマネージャー として約4年勤務。2012年1月、一人ひとりの想いや感動を伝えるカナダ旅行・オリジナルツアーを専門とする ARA Professional Travel & Support を設立。現在では、個人旅行のお客様を中心にダウンタウンを歩くお散歩ツアー、キツラノ食べ歩き、マウントプレザントの壁画インスタツアー等、大手では出来ないユニークなツアーを次々に展開。中でもクラフトビールを飲み歩くパブツアーは、体験談や口コミでカナダ観光局やBC州観光局が一目置く人気ツアーとなる。
https://arapro.ca

バンクーバーの Mural(壁画)の中心地でもある Main / Mount Pleasant にあるカフェに約束の時間通りに現れたのは、クラフトビールや壁画インスタなどの人気ツアーを次々に企画・運営する エーアールエー社長の荒木大輔さん。多くの旅行会社がひしめくこのカナダ観光業の第一線に立ちオーダーメイドの旅にこだわり続けるその思いはどこからくるのだろうか。

すべての出発点。

小塩: このお仕事をされる前はどのようなことをされていたのですか?

荒木: この仕事をする前は大学生で、卒業して23歳のときにワーキングホリデーでカナダに来たんです。大学の時は冬の間は 新潟県・越後湯沢のスキー学校でインストラクターをしていました。その学校で校長先生のお部屋の掃除していた時に、机の上にスキー雑誌が置いてあって掃除そっちのけで見てたら、一番最後のページにカナディアンロッキーで仕事をしませんか?って記事を見つけたんですよ。来年の4月から1年間のギフトショップでの求人記事だったんです。それで 見たことも勿論書いたことも無い英文の履歴書を4月に大学に戻った時に図書館で調べてエアメールで送ったんです。その夏、オーナーさんの奥様(日本人)が来日され、東京で面接まで進んだんだけどその後音沙汰がなく、10月の半ばだったかな本当に忘れかけた卒業まであと半年って時に、ポストにエアメールが入ってたんです。封を開けたら「合格しました。しいては、来年4月1日から20日までの間にカナダ・シャトーレイクルイーズホテルの中にあるギフトショップに直接来てください」っていうような短い文章が書いてあったんです。大学4年の10月になってまだ就職も決まってない不景気でバブルが崩壊した世の中で、この手紙が来たのはチャンスだって思って、もう後がない崖っぷちに近いですよね。最初父親には反対されたりもしたけど、最終的にカナダに行く決意をして、アルバイトで貯めた貯金は航空券や保険代に消え、手持ちの400カナダドルとスーツケースを持っていなかったので、スキーバッグだけ抱えて成田空港から飛び立ったんです。カナダに来て僕が衝撃を受けたのは自分の英語力の無さ、気軽に来たけど一番壁だった。入国審査場ではイエスとオッケー、サンキューぐらいしか言えなかったんです。そんな語学力でしたがカナダ人の若いお兄ちゃんとホテルのスタッフ寮で1年間一緒に住んでましたね。全く会話がなりたたないので身振り手振りで。

Kiyukai Interviewer Mika Shimomura

どんなに紆余曲折してたって “なんとかなる” が繋げたもの。

小塩: その時期が今のご自身に与えているものはありますか?

荒木: なんとかなる。何かやれば、何かチャレンジすればなんとかなるって気持ちが大きくなりました。最終的には自己責任なので、自分で決めることによって他に迷惑をかけない。今振り返ればたぶんあの頃からずっとそうやってきて今の生活も含めて、なんかそれがどっかに根付いて何か問題が起きても何とかなるっしょって思ってる。

小塩: なんとかなる、それはやはり自信ですよね。

荒木: 自信っておっしゃっていただくと嬉しいんです。

小塩: なぜ旅行業をお仕事に選ばれたのですか?

荒木: ギフトショップでの仕事で知り合った現地ガイドさんたちと一緒に飲みに行ったりしてたんですが、そのパブでいつも見かける日本人の男性がいたんですよ。ある日その男性が15人ぐらいのお客さんを連れてレイクルイーズの湖畔にきてたんです。どんな仕事をしてるんだろうって見てたんですね、そしたらロッキーの山の話、動物の話、植物の話、山のでき方、氷河がなぜできたかとか、すごく興味深い博学な話でガイディングをされていて、15人のお客さんの心を一人でわしづかみにしてたんです。それに感激してしまって、その時に僕はこんな仕事をしてみたいなって思ったんです。清田さんって言うんですけど、彼が推薦してくれたおかげで新人なのにワーキングビザも出してもらえて、その会社がメープルファンツアーズだったんです。それからカナディアンロッキーの観光ガイド、夏はハイキングガイド、冬はスキーガイドを3年やりました。

Kiyukai Interviewer Mika Shimomura

小塩: ご縁ってすごいですね。全部つながっている感じですね。

荒木: つながる。このあともっと。最初1年の予定だったワーキングホリデーが5年になって、その頃には山の生活がおなか一杯になっちゃったんです。大学卒業してすぐこっちに来ちゃったから日本での社会人経験をしてなくて、29歳になるタイミングでネクタイを締めて満員電車で通勤してみたかった。それでバンクーバー本社にビザが切れる3月で日本に帰りますと話をしたら、ボスから名古屋支社で働いてみないかって言われたんです。二つ返事でお願いしますって言いました。帰国前には同じくワーキングホリデーで来ていた妻とロッキーで結婚式を挙げて新婚生活は名古屋でスタートしたんですよね。最初は石の上にも三年だと思って、がむしゃらに頑張って5年目には名古屋支店長をやらせてもらいました。ただ出張でカナダに来るたびに、名古屋じゃないやっぱりカナダなんだって気持ちが芽生えていったんです。

Kiyukai Interviewer Mika Shimomura

小塩: カナダの何に惹きつけられたのですか?

荒木: 実際に働いてみて日本の独特な社会は色んなしがらみがあったり、大人の事情や政治的な事で話がチャラになっちゃったり、そういうのは仕事をしていくうえで致し方のないことなんだけども、何なんだ…っていう気持ちもあったんです。何度かカナダへの異動を申し出たけどダメで…。そんな中2007年、名古屋支店長をしていた8年目の時、エアカナダの名古屋ーバンクーバー線が運行撤退になり、それを機に名古屋支店を閉鎖する判断をしたんです。その時、カナダ側社長からバンクーバーで新しい事業を作るからお前来るか?って言われて行くことに決めたんです。すごくうれしかったけど、一番辛かったのは名古屋支店を閉めるクローザーになってしまったこと。日本の法人の皆さんにも申し訳なかったし、カナダ側、日本側の両社長にはバンフから日本に行かせてもらった時もカナダへの異動を申し出た時もわがままを言って、最後に支店を閉めてバンクーバーに来ちゃうっていうことがすごく申し訳なくて、その気持ちは今でもあります。

Kiyukai Interviewer Mika Shimomura

予期せぬ出来事に翻弄されつつもーー挑戦・親離れ・独立、そしてその思い。

荒木: 2008年4月にカナダに戻ってから、新しいインターネット・ウェブサイトの事業を任されたんです。メープルファンツアーズはホテルなど大型取引の契約をしたものを日本の旅行会社へ売る、そして旅行全体を手配する、いわば旅行会社の問屋さんなんです。カナダ側社長は旅行業者を挟まずに直接お客さんとやり取りするインターネットでのウェブ事業をやりたかったんです。12年前なのでまだまだネットが一般的ではなく、今みたいに携帯でネットやカフェでパソコンを開いて何かをする時代ではなかったんです。

小塩: その事業をどのぐらいされたのですか?

荒木: ほぼ4年やりました。2010年のオリンピックもあって今までは旅行会社の裏方だったメープルファンがようやくインターネットでのサービスの知名度に光が差していた時に、東日本大震災が起きたんです。震災でカナダへの旅行客が大幅に減りました。日本中がどん底で旅行なんかじゃないよっていう風潮だったんです。日本の旅行会社も旅行商品を造成しない、ということはメープルファンにもお客さんがいないわけですよ。

地震から半年はなんとかやってのけたど、さらに厳しくなるだろう今後のためにマネージャー会議が12月に開かれたんです。あの時この会議がその後の僕の人生を大きく変えるなんて想像もしてなかったんですがね。事前にマネージャーには宿題が出されていたんですが、フタを開けると社長はすでに来年の方向性を決めていたんですね、社長の話の中で僕がやっているウェブ事業は継続されないと伝えられたんです。僕の方は来年どうやっていきたいのか一生懸命考えた資料があったのに、そこで終わりって言われちゃったもんだから「僕は来年やるつもりでこの宿題作ってきました、でもこれを発表する意味はないですよね。もしもうこの事業をやらないのでした自分でやります」って言っちゃったんです。名古屋から来て未経験のことだったけど必死に自分なりにやってきて、ウェブ事業は全体の売り上げからすると0.1%ぐらいの割合ですごく小っちゃかったんだけれど、地震が起きて会社の売り上げが落ちてしまった時ウェブ事業の数字だけは上がってたんですよ。なぜなら旅行会社は旅行を売らないけれどカナダに来たい人は個人旅行ベースでいっぱいいたんです。だからその人たちの窓口を僕はやめたくなかったんです。それでボスがやらないんだったら自分でやりますって啖呵切っちゃって…、やばい言っちゃったって、売り言葉に買い言葉じゃないけどカチンときたのもあったんですよね。社長はそうかじゃあお前とは今月いっぱいの雇用契約とするから好きにやれって切られちゃったんです。バンフで3年、名古屋で9年、バンクーバーで3年半、16年でした。

Kiyukai Interviewer Mika Shimomura

小塩: 両方ともすごいですね。その時今後のビジョンなどはあったのですか?

荒木: そこはまったく… でもカナダ側社長のおかげで自分がやらせてもらっていた事業を継承して全部持って行っていい、やりたいんだったら自分でやれそこはタッチしないから、ということで独立することになったんです。1月1日からメープルファンのオフィスにある自分の机とやってたウェブ事業だけが自分に残って、さあどうしようって。社長は僕がいきなり会社起こしてもいろいろ大変だろうからということで、今までどおり机を使えるようにしてくれたんです。だからそれまでと同じように出勤はしてたけど、みんなメープルファンの社員で、昨日までの部下も立場も変わり、僕の机だけは別会社という。

小塩: 変化の真ん中の状況ですね。

荒木: それからまずすぐに会社作んなきゃいけないってなって、友人の助けをかりて法人登記をしました。会社名が決まって会社として認可されたのが1月27日。

小塩: 1ヶ月もたたずに会社を立ち上げられたのですか?

荒木: 1月1日から27日まではタイトルもなく何の保証もなかったんですけど、まずは自分の会社ができたんです。でもまだその時点では机を借りた状態でこれじゃあいつまでたってもここから親離れできない、なんのために独立したのかわからない。ちょうどその時会社立ち上げを手助けしてくれた友人がオフィスを一緒に借りません?って一緒にオフィス探しに奮闘してくれて、それでオフィスをオープンしたのが7月でした。あの頃一番救われたのは仲間でしたね。彼らは僕より若いのに早くに会社を立ち上げていて、やってやろう負けられないっていう気持ちにもさせてもらったし。

ということで結局突然の独立から半年後に本当の意味での親離れをしました。

Kiyukai Interviewer Mika Shimomura

小塩: 親離れというのはどういう意味なのですか?

荒木: やっぱり16年いた会社で、おまえの好きなようにやれって雇用契約を切られて、プライドも傷ついて、本当は会社から首を切られた時点で出なきゃいけなかったんですよ。でもそのウェブ事業を引き継いだ大義名分があってそのデスクの家賃も取らずに、社長はそこは取らなかったんですよね。ただ、僕としては早く出たかったのはありました、だって今までみんな一緒だったのに僕だけ一人違うんですから。それでもやっぱり育ててきてくれた、16年っていうのはやっぱり親なんですよね。

小塩: まるで親が息子を一人で旅立たそうとしてるようですね。

荒木: たぶんそうだと思います。もめたくなかったんですよ。どこの業界もそうですけど、世界狭いですから、他のところでめちゃくちゃになるのも見てきたので、お互いに何のメリットもないですからね。

それよりも16年で学んだことのほうが大きいですね、やっぱりメープルファンでの16年で自分の得たものは多い。この16年の間に、 カナダ側、日本側、2人の社長に仕えていて、二人とも良い所もあれば悪い所もある。今僕は二人の良い所をいただいて社長をすることができてるんです。たとえば、日本側社長の、人の心にすっと入り込む営業力。行動力やもちろん人脈もそうだし、相手の心に入って仕事を取ってくるあの営業力っていうのはやっぱりすごいと思いましたね。社長の背中を見て営業っていうものを学びました。それからミーティングでカナダ側社長が懇々と話していたこと、その当時はその意味がわからなくて早くミーティングが終わらないかと思ったりしたんだけど、 今更ですが、社長をやってみてようやく理解出来てしみじみ思い出すこともたくさんあって…。あと逆に、2人の経営者として悪い所の方を実践しないようにも心がけてもいたりしています。(内緒・・・)

次回後編では、おもてなしのプロとしてのこだわりについてお話しいただきます。

「カナダ現地ガイドの井戸端会議」

バンクーバー・キャンモア・イエローナイフ・ケベック・プリンスエドワード島からライブ配信中。

立命館大学文学部 小塩 沙和, Interviewer